2014年7月8日火曜日

2014.7.4‐5  ハエと食事

7月4日、SUTを離れ、バンコク付近にある水上マーケットへと向かいました。約3時間の道のりをバスで移動し、水上マーケットへ着いたのは18:30ほどでした。
1時間半程度の自由時間が与えられ、川を走る商売船を撮影したり、お土産を買ったり、夕食を食べたり、それぞれの時間を過ごしました。

水上マーケットでの食事処のある一か所は、川と川沿いの道の間に3mほどの段差があり、その間は大きな階段で埋められています。その階段ごとに、銭湯の風呂椅子程度の椅子と、膝下ほどの高さのテーブルが敷き詰められています。そしてその一帯の川沿いには5つの船が、ドリンクや海産物、タイ料理などを、船の上で調理しながら川に揺られていました。
ここでのオーダーのシステムは、客席の間を回るホールスタッフのような人に頼みたいものを注文し、そのスタッフが船までその料理を取りに行ってくれて、料理と引き換えにお金を渡すというシステムになっています。

私がこの席についたとき、すでに5匹のハエがテーブルの上に居座っていました。ハエたちを手で払いのけ、そこに座り、ご飯を食べました。もちろん、ハエたちはごはんを食べている最中も容赦なくご飯の上に乗り込んできます。
そういった光景が、おいしすぎるタイの屋台街のごはんの一風景を作り出しています。

ハエは、不衛生の代名詞だと言われる生き物かと思います。トイレにも、食事処にも、部屋にも、ハエがいたらそこは不衛生な場所だと見なす認識があります。
日本だと、食事をしている最中にハエが寄ってくると嫌悪感を抱く人も多いだろうと思います。そしてハエは、駆除すべき第1級の生き物へと成り上がっていきます。

タイでは、ハエは駆除すべき生き物というか、食事のときだけ払いのける生き物として存在しているような気がしました。「屋台に住んでもいいけど、食事のときは食事をする人に譲ってね」そんな雰囲気があるように感じました。だから、誰もいないテーブルの上にいるハエに対して、誰もとがめないし、干渉もしないし、もちろん駆除しようともしないです。

「不衛生な」ものを徹底的に排除していく、クリーンな社会とは別の道があるのではないかと、水上マーケットの屋台でごはんを食べながら思いました。

タイの屋台は屋台主ものでもなく、お客さんのものでもなく、ハエたちのものである気さえしています。

2014年7月7日月曜日

2014.7.3 文化から見たASEAN



今日はASEAN campの2日目。
今日はメンバーを10グループにに分けて、ASEAN加盟10ヵ国のそれぞれの文化に関する事柄を調べて発表するというワークをおこないました。
項目は、衣・食・住、宗教、家族、スポーツ、コミュニティ、言語、芸術、Dos&Don'ts、などなど。
グループワークの前に、文化に関する授業が一つ行われました。その講義のなかで、文化に関してはこのように定義されてました。
                                   
「Culture is a tool to control the behavior of a group of people」

Controlのニュアンスがよくわからなかったですが、ASEANの話に置き換えると「お互いの文化を知ればASEANはうまくやっていける」みたいな意味だったのかなと思います。
同じ宗教基盤を持つEUなどとは違って、ASEANは同じ基盤を持つものがなく、だからこそお互いの文化を知ることが大事なんだ、そんなことを言っていたような気がします。

今回のcampのは、ASEANを文化の側面からみていこうという主旨でおこなわれています。
政治からでもなく、経済からでもなく、文化から。経済協定ならあまり考える必要がないようにみえる文化の側面が、ASEANの同盟のなかで重要な位置を占めていると。

経済協定の中で、宗教や衣食住などがそれぞれどのように扱われるのか。例えば、前回のcampの途中からラマダーンが始まりました。ラマダーン下において、貿易がどのように変化するのか、経済のなかに介入してくる文化の扱われ方について、ASEANはおもしろいのかなと思います。

2014年7月3日木曜日

2014.7.2 "超"ポジティブ国家、タイ

7/2〜6に行われるASEANキャンプがはじまりました。このキャンプではASEANとタイの現状および学生の海外留学やグローバル化について講義を聞きます。

7/2は1つ目の講義がありました。内容はASEANに参加することによるメリットを2時間超。内容はお世辞にもためになるとは言えず、話者(有名私立大の教員らしい)が自分がいかにしてグローバル化して成功したか、学生が海外留学すべき理由、タイ人だけが面白い歌に、女性遍歴。
私は講義中に外に出て、ある女性スタッフに感想を聞かれたときに、

あまりにもつまらない
重要なポイントがわからない
唯一わかるのは彼が歌と金と女が好きだということだけ
焦点をしぼるべき
批判的思考力がゼロ
そもそもこれは大学の講義にふさわしい講義ではない

ということを伝えました。

すると夜の食事会の際、ある先生が女性スタッフからその感想を聞き、なぜそんなことを言ったのかと聞いてきたのです。
私は(その女性スタッフがまったく講義に集中せず自身の写真を生徒に見せるなどしていたこともあり、同意もあるだろうと)彼女にこの講義があまりにも学問的ではないと言いました。
しかし、生徒がそのようなことを言うべきではないと先生は言うのです。

タイは"超"がつくほどのポジティブ国家だというのがこの1週間をタイの大学で過ごした感想の1つです。

このプログラムのルールに、"宗教の違いを理解しよう"などと同じ項目として

Think posititely
SMILE

というルールがあります。

ときにこれらのルールはすばらしい環境を生み、海外から集まる学生にとって打ち解けることを容易にします。
このルールは、抽象的ではありますが、あまりにタイという国らしい。

しかし私は、Think posititelyはNOT think criticallyと同義語であるとは思いません。
学生に対する口封じや伝統は果たしてすべて維持されるべきでしょうか(この日はまた、現地の学生ボランティアが年配の人より早く食事を取って注意されるという場面があったそうです。彼らはボランティアにもかかわらず仕事をたくさん抱え、それをこなすために早く食事を取ったにすぎません)。

これから経済的にさらに発展していくであろうタイにとって、今もう一度ASEANとはどのような存在なのか、見直すような授業がこれからあるのでしょうか。
学生に求めるように、大学もまたThink posititelyを求められているのではないでしょうか。

自由な国に存在する生き辛さを感じた1日でした。

2014年6月30日月曜日

2014.6.29 伝統と技術

伝統とはなんだろうか。伝統とスポーツは共存するのだろうか。
 
ムエタイは、タイの一つの伝統的なスポーツだとよく言われる。
今回のcampでも、ムエタイのレクチャーが始まる前には必ず儀式から始まり、レクチャーの最中も儀式が挟まれ、儀式で終わる。 1日のレクチャーの3分の1は儀式についてのレクチャーに使われるくらいだ。それくらいに、ムエタイは儀式を重んじている。昨日かおとといにムエタイの試合を見に行ったときも、あるボクサーは相手ボクサーがすでにリング上に上がっているのにも関わらず、リング下で長い間合掌をしていた。また、毎試合、このcampで習った儀礼が行われる。儀礼から始まるムエタイは、一旦試合が始まると、ムエタイはスポーツと化す。
お互いが殴りあっているシーン(技の型とは無関係に)をよく目にした。

伝統に技術は入り込むことができるのだろうか。 なぜなら、伝統は論理を持ち込まないもの、一方で技術は論理を持ち込むものだから(と思うから)。
ムエタイのようなスポーツの場では特に伝統と技術のせめぎあいがみられるような気がする。つまり、スポーツの側面(技術的な側面)としてのムエタイと、伝統の側面としてのムエタイのせめぎあい。技術は伝統のなにを変えていくのだろうか。また、伝統は技術の何を排除するのだろうか。                        

「伝統は作られる」という議論は観光の文脈でよく見る。観光開発と伝統。これも伝統とテクノロジーのせめぎあい。
しかし、スポーツの場から見た伝統とテクノロジーのせめぎあいはどう見えてくるのだろうか。テクノロジーが世界を席巻していった近代社会を、タイのムエタイやセパタクローのスポーツから見ることはできないだろうか。

2014年6月29日日曜日

2014.6.27-28 ムエタイと金

時間が前後しますが、28日は校外に出て様々な場所を見学しました。なかでも農村地帯にポツリとあるジムは非常に印象的です。ここでは数多くのチャンピオン(彼らはまだ15,16歳ですが)を輩出しています。そのため、周りの家屋とは違い建物が綺麗で車やバイクもありました。ファイトマネーは勝ち上がると最低でも100,000バーツ(日本円で約30万円)で、試合結果につきさらに増加します。綺麗な建物と比べトレーニング機器は現代的なものはなく、小さなリングといくつかのサンドバッグです。ランニングマシーンのような電動機器を使わないのは彼らのフィロソフィーだそうです。

前日の27日はムエタイの試合を実際に見学しました。そこでは10歳ほどの子供や女性の試合も行われています。周りの観客はどちらが勝つか予想し賭け、金銭を交換しています。半数以上の観客はそのために来ているようでした。そのため、リングの周りには賭けの仲介人のような人が数人いて、ダウンなどで試合の優勢が変わると観客席の方を向いて手をあげます。それに合わせ観客が手でサインを作り応えます。仲介人は試合の勝敗はそっちのけです。日本のセリのようなイメージがわかりやすいかと思います。応援をしているのではなく完全に賭けを楽しんでおり、賭けたボクサーが良いパンチやキックを決めると、彼らは立って大声で盛り上げていました。

2014年6月28日土曜日

2014.6.26 ムエタイ、伝統、宗教、ナショナリズム、作法

今日はinternational Material Arts and Culture Campの1日目。いよいよ今日からムエタイのキャンプが始まりました。
             
会場は、ムエタイができる専用のジムではなくて、大学のスポーツセンターでした。 大学の施設といっても、中は広くて、プールやジムがありました。サウナまでできるそうです。

参加者はざっとみて200人。
僕らの他に、中国、インドネシア、マレーシア、ベトナム、ラオス、タイ、・・・
専攻は、地理学だったり工学系だったり社会福祉だったり、
とにかくたくさんの学生が来てました。

今日のムエタイのトレーニングとしては、主に基礎の部分の練習でした。
まずは、構えの練習。ムエタイの基本姿勢(右利きの人の場合)は、左足を前に、右足を左足の斜め後ろに置き、中腰の状態になります。
両腕は、右手が右頬のあたりに構え、左手は口の延長線上あたりに構えて、これで大まかな基本姿勢の完成です。
                                                   
次に、フットワークの練習。前に後ろに左右に動く練習をしました。ポイントは、どうやら両足が水平に一直線上になることは絶対にないように動くことがポイントなようだと理解しました。  
 
最後に、 パンチとキックの練習。パンチとキックは10種類ほどはやったと思います。

授業はこんな感じで進みました。

また、今日は体育館の入り口に中国の国旗だけなくて、授業始まるギリギリまで中国の学生や先生が来なかったり、仏教流の儀式を行うときに他の宗教の人たちが座ったままでいたのを見たりと、いろんな場面を見たような気がします。

                 


2014年6月26日木曜日

2014.6.25 タイのセパタクロー

北大体育社会学ゼミM1とM2の二人は、6/26からタイのスラナリー工科大学のプログラムに参加します。
タイに前日入りしたため、スクムウィット通りのベーンチャシリ公園にセパタクローを見に行きました。

そこでは大会やクラブが行われてるというよりは、レクとしてセパタクローが行われているようでした。
バスケットボールやバドミントンが行われている横で、1番大きなスペースで1番多くの人数がセパタクローを楽しんでおり普及の具合が見てとれます。
またプレーはせず、ただそれを見て応援している人たちもいました。

参加者は男性だけでなく女性もいます。年齢層も学生らしい人たちから50歳ほどの人もいます。
セパタクローについての専門用語はわかりませんが、男性がアタックを決めるときはサッカーでいうオーバーヘッドのような体制をとります。
女性がそれをすることはほぼなく、多くはサーブおよびレシーブに役割を持っていたり、もしくはヘディングでアタックする場合がありました。

あるコートでは2人1組でセパタクローを行い、男性がレシーブとトスの役割を果たし、女性はアタックのヘディングをひたすら行うというペアがいました。
半コートに2人しかいないためコートにある程度スペースがあり、そこをコントロールしやすいヘディングで狙うという効果もあり、思いのほかよくアタックが成功していました。

タイでは近年サッカー人気が非常に増しているということなので、同じ足を使うスポーツであるセパタクローの影響がタイサッカーに影響を与えているのか、また今後さらに与える可能性があるのか、気になる点でもあります。


2014.6.25